みなごろしのダンス

国立医学部浪人生の趣味

精神の保ちかた

自作模試を作ってる奴らがたくさんいるが、そいつらは他の人の自作模試を受けるのだろうか。これはとてもとてもクソみたいに変で馬鹿みたいな俺の言い分だが「一方的に他人の学力を見透かして卑怯である」と他に思う奴はいないのだろうか。僕らの挑戦はプライドをへし折られる危険性を孕んでいるし、いくら学力は見てませんよと言っていても問題が解けないことで下に見られることは充分に予想できる。本当に被害者意識が高い私の意見なのであてにならない部分はあると思うが、実際こう思う人は居ないことは無いと思う。多分。嫉妬の部分は大いにあるしほとんどそうだと思う。卑屈な精神から来るものであり、彼らは絶対に悪くない事は僕が一番承知している。これは個人的な本当に馬鹿げた話であるのです。

自作模試は3回ほど受けて、3回とも時間内に完答は出来なかった。僕は性格が悪いので、「時間内に間に合わなくても虚偽の申告をして時間を大幅にオーバーした答案を提出する奴が絶対いる」と思ってしまうのだ。自分が正直にやるため余計イライラするし俺も時間なんて気にしないで解けばいいものをそうできないから馬鹿だと自分で思う。もちろんふつうに間違えたものもあるし、題意を理解できずに解かなかった問題もあるが、どれかは言わないが受けた模試のうちぜっっっっっっっっっっっっっっったいに間に合わないものがあったと僕は思う。

実際、この3つの後模試の妨害策として自分の答案を晒そうと考えたこともあった。しかし、もしもまた仮に解けない問題があった時に自分の心が壊れてしまうように思えて結局実行に移す事はなかった。僕は弱い。実力が伴わずにプライドのみが無駄に高くて本当に滑稽だと自分でも思う。しかし、そんなプライドを削り見下される恐怖と戦いながら僕らは自作模試に励んでいることを問題作成者は強く意識してほしい。

配慮などはいらない、だって君らは何も悪いことしてないんだから。これはただの俺の不合理な嫉妬であり愚痴であるだけ。

覚えてろよクソ数強どもが数学力をひけらかしやがって死ねくたばれぶっ殺してやる絶対負けないからな

鶏の頭

数学を始めたばかりのクソ野郎が手初めに取りかかるマウンティングの手法として「誰もが見落としてるであろうと勝手に自分が思っていることを自慢げに周りに言い放つ」、「難しい数学の基礎概念を自分が発見したと嘘をつき優越感を得る」といったことをするものがある。ちなみに正直に述べると僕はどちらも経験した。1=(1/3)×3=(0.333…)×3=0.9999999…を自分で発見したと僕は意固地になっていたこれは全く難しいものではないのだが、先程述べた後者のマウンティング手法にあたるものであろう。非常に申し訳ない。さて、今回話すのはその前者に関わるものであるといってもマウンティングの手法を述べるのではなく実際に行われる例の証明をただするだけである。

そう、今回はただの算数ブログである。だから是非見ていってほしい。簡単だから。

今回扱うのは「負の数同士の積は正の数になる」といった内容である。みんなが見落としてるものとしてよーーーーーく頻繁に挙げられる、これと双璧を成すものとして「分数の割り算はなぜ逆数の掛け算になるのか」があるが、今回それは置いておこう。早速取りかかる。

補題1:aを実数として,(-a)×(-1)=a

 証明

(-a)×0=0  

(-a)×(1-1)=0 (xを実数として,x+(-x)=0)

(-a)×1+(-a)×(-1)=0 (分配法則より)

-a+(-a)×(-1)=0 (xを実数として,x×1=x)

(-a)×(-1)=a (両辺にaを足した)

より示せた.

 

 

補題2:(-1)×(-1)=1

証明 補題1で,a=1として示せる. 

 

 

補題3:-a=(-1)×a

証明 補題1より(-a)×(-1)=aであり,両辺に(-1)をかけると(-a)×(-1)×(-1)=(-1)×aとなり,補題2を用いて-a=(-1)×aより示せた.

 

 

補題4:a,bを実数として,(-a)×(-b)=a×b

証明

(-a)×0=0

(-a)×(b+(-b))=0

(-a)×b+(-a)×(-b)=0

(-1)×a×b+(-a)×(-b)=0 (補題3より-a=(-1)×a)

(-1)×(a×b)+(-a)×(-b)=0 

-(a×b)+(-a)×(-b)=0 (補題3より)

(-a)×(-b)=a×b (両辺にa×bを足した)

より示せた.

 

 

示すべき命題:負の数同士の積は正の数

証明 補題4でa>0,b>0として示される.

 

こうして、よく言われるものが示せた。

とても大変であった。間違いなどは見つけても報告しなくていいです。何も参照していないので参考リンク等はないです。疲れました。この次に何を話すかを忘れてしまったので今日のブログはこれで終わりです。ではまた

数ぽよは死ね

 

感覚的なこと

私のよくやる暇つぶしとして、壁に何らかの形を見出すというものがある。説明がとても難しいのだが簡単に言えば壁を見たときに凹凸でできる影の濃淡や粒々を繋げて形を作るといった方法でこれは小さい頃から続けている癖みたいなものであり、実に様々な予測できない模様が浮かび上がってきてとても楽しい。

話は変わるが、寝る前にみなさんはどのように過ごしているだろうか。気づいたら意識が飛んでいる?動画見てたら気づいたら寝ている?まあ様々でしょう。私は、瞼を閉じて真っ暗の中に浮かび上がる映像を楽しむという方法で寝るまで暇をつぶしている。同じ方はいないだろうかいたら是非握手がしたい。これも説明が難しいのだが、何かよくわからない映像が真っ暗の瞼の裏をものすごい勢いで切り替わりながら流れていき、それを見るという暇つぶしなのだが、その映像は本当に予測不能で、自分が全く知らないものや見たことないものがパッパッパッと切り替わり、このような体験はまず他ではできない。私は、さっき話した暇つぶしと今話しているこの暇つぶしが形を見出す点で少し似ていることに気づいた。だからといって何かあるわけでもない、ただそれだけ。一度やってみるといい、瞼の裏の映像についてはまだ言及したいことがあるので後々またいつかこの話題を出すことにしよう。天皇万歳。

抗うこと

前々から思っていることがある。

「なぜ論理的なものが良いとされるのか」どこへ行っても何故か論理的なものは感情的なものより無条件に良いとされる風潮が大きく付き纏う。数学や物理などのものは、ある決まり事の上で物事を考える学問であり、そこでは感情じゃなく論理が必要なことは誰でもわかる。勿論、例えばこの式変形をする理由は何故かといった部分に感情が原因として出てくる場合も多いが、大抵の場合深く掘り下げていくと後々の為にそうする必要があるものが大半であり、根本が論理なのは変わらない。それらの学問は「ことがらを論理的に導き出す」というルールがあるのでそうしないといけないのはわかる。しかしなぜ一般のことがらも論理的なものがいいとされているのか僕にはわからない。そいつらの意見も元は「それが良い」という感情に起因するものであり、感情論を全て遠ざけるのは少し違うんじゃないか?と私は思う。「なんかやだから嫌」、「理由はわからんけどなんか良い」こういうのも真っ当な意見として受け入れて良いんじゃないか?と思う。

論理に支配された猿共、感情論も大事にしろ。

特許技術

最近目に関して気づいたことがある。君らも是非今度外に出た時にこの記事を思い出してやってみてほしい。

その気づきというのが「人間は首を傾けて上を向くと目を閉じるようになっている」というもの。先に書かせてもらうと、これは紫外線や太陽光から目を守るための反射行動であると僕は結論づけた。なぜかというと私が住んでいるところは沖縄であり、沖縄は今の季節年中曇っている。そこでこの実験をしたため光線の強さは関係ないものだと思っている。実際、太陽と反対方向の曇り空を見上げても目は閉じた。また、団地などの高い建物を見上げても目は閉じた。また別の日に、白い地面を眺めたら目が閉じることもあった、仮に黒色の地面を用意したら目は閉じないと思われる。その理由は白色が光を反射し、黒色は光を吸収するため。クソみたいな気づきではあるが時代が時代なら大発見だったと思う。生まれる時代を間違えた。

誰か表生地が白色で裏生地が黒のシャツ作ってくれないかな…絶対売れると思うんだけどなあ。ブログの更新は1日1回で決めてはない。複数回あるかもしれないもしくは0もあり得るし、気分次第ってところです。

経緯と決意

「国立医学部だったらいい」と言われた刹那提案に飛びつき二浪が確定したものの、今年から東京に住むことが決まっていたので目指す大学が絞られた。

東京にあり、国立であり、医学部がある大学…………………………

・・・・・・・・・・・東大だ!

とても浅はかあまりに滑稽理想だけが高すぎる。

しかし決まったものはしょうがない死ぬ気で頑張るほかはない。

幸い私の祖父は「25までに受かるならなんでもいいよ」と、なぜか医学部浪人に対して寛容であるため時間には余裕もあるがしかしここはあと2年で入りたい。

1年で入ろうとは思ってはいるがどうせ無理だろうから2年に設定したところであります。

私は理三に入るのに才能や遺伝はいらないことを証明したいです。

天才と呼ばれる努力家諸君には2年で入ろうとする愚か者をどうかぶちのめしてほしい。

私はそれに負けないように頑張りたいと思います。